2012/05/12

まず作ってみる。そこがスタート。

今日、RucKyGamesさんの本を立ち読みした。



数字的なことは殆ど書いてなくて、企画や開発のフローも殆ど書いてなかった。ていうか、すげー適当なことしか書いてなかったw
でも、すごく心に刺さった言葉があった。それは「自分が遊んでみたいと思い付いたらとにかく作ってみる。どんなにつまらないと思えるものでも誰かしらの心に刺さる。そこがスタート。」というもの。

3年でiPhoneだけで100個近いゲームを出してるRucKyGamesさん。え、それ面白いの?的なよく分からんゲームも出してるけど、このペースはすごい。ここまでやってしまうと、クソゲーも名作も全部ひっくるめてRucKyさんで、もはや何をやってもRuckyGamesというブランドを高めてしまう。またRucKyさんがなんか出したwダウンロードしよ!となる。

僕はRucKyさんの「エスカレベーター」というゲームが1番好きで、そして僕はゲームを作るとき、「エスカレベーター」を常に目標にしている。
http://itunes.apple.com/jp/app/esukarebeta/id458167962?mt=8

「エスカレベーター」は、エスカレーターとエレベーターのイラストや文字を見分けて正しい方をひたすら選ぶゲーム。言ってしまえばしょうもないのだけれど、そもそも企画の段階で題材選びがうますぎるし、ゲームのUIやデザインは一流。

まだ、絶対にかなわない。僕には作れない。
僕はまずここを目指そうと思う。企画も、コーディングも、デザインも、全部僕一人であのレベルで作れるようになろう。

今まで僕は企画をやっていたつもりでいた。
コーディングができる人がいて、デザインができる人が近くにいて、だから僕は企画をやって、彼らが自分たちの専門分野に専念するために、残されたものを担おうと思っていた。

それはそれである意味正しいポジショニングなのかもしれないけれど、最近思うのは、あの頃、結局僕は彼らの邪魔をしていただけなんじゃないか、ということ。

何もできないやつがコード打てやら絵を描けやらうるさく喚いてるだけ。

それじゃ、ダメだ。
コードも少しは書けて、デザインも少しはできる。そのうえで、企画はそれらよりもできる。
幸運にも身近にコードが書ける人がいて、デザインができる人がいて、お互いが一緒にやる意味ややりがいがあるなら、そのときには一緒にやればいい。

ディレクターとして意味のある存在になること。
僕がいるから作れたというものを作るためにディレクターとしての僕が存在すること。

うん、がんばろう。最高に楽しみながら。


それにしてもRucKyさんの新作「ぐんまのやぼう」やばいなー。まじハマるw